◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十五)

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◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(十五)

◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、「踊るあほうに見るあほう・・・阿波踊り」

 八月十二日午後六時、徳島市の八か所の演舞場で、阿波踊り(八月十二日~十五日)が行われる。演舞場では「連(れん)」と呼ばれる踊りグループが鉦(かね)や太鼓、三味線の「よしこの」囃子に合わせ、鳥追い笠にピンクのけだし姿の華麗な「女踊り」、ねじり鉢巻きに法被姿で機敏な動きの「男踊り」をにぎやかに繰り出し、市街地は「踊るあほう」と「見るあほう」の熱気に包まれ、踊り一色に染まる。

◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、盛大な踊る祭り、徳島の「阿波踊り」

 八月十二日から十五日までのお盆の時期に、徳島市で行われる恒例の踊る祭りが「阿波踊り」である。徳島県には古くから盆踊りが伝承されており、江戸後期には、盆踊りをもとに集団を組んで三味線・太鼓・締太鼓・拍子木・尺八などで囃しながら仮装し、町中を踊り歩く組み踊りが流行していた。

 行進しながら踊り歩く自由な振りの踊りで、藍の取引で豊かになった商人たちが支えたといわれている。現在の連(れん)ごとに踊り進む阿波踊りの原型であったと考えられている。

 「阿波踊り」という名称は古いものではなく、大正末頃に観光協会が発足し、観光客誘致のため芸妓に踊らせた盆踊りを「阿波踊り」と名付けたという。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃそんそん」と囃し踊るところから、阿呆踊り・馬鹿踊りとも呼ばれていた。

 「阿波踊り」の起源の説明によれば、阿波藩のもとを築いた蜂須賀家政の徳島築城を祝って領民たちが浮かれ踊ったのが始まりだという。現在の「阿波踊り」は、大正期に流行った「よしこの節」の節で、「阿波の殿様蜂須賀公が、今に残せし盆踊り、踊り踊らば品良く踊れ、品の良い娘を嫁に取る、歌え歌えとせいたてられて、歌いかねますひよこ鳥」の歌詞などがうたわれている(※注1)。

 明治期は「はいや節」で歌われていたという。現在の踊りには踊り子連ごとに、大人数で手を上に足で調子をとる乱舞風行進型の「ぞめき踊り」と、三味線などを伴奏に少人数で流しながら踊る昔ながらの流しがあるが、特設の桟敷の前ではほとんど「ぞめき踊り」となっている。流しも芸妓たちによって十五日の朝踊られている。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)阿波踊りの起源は、諸説ある。一五八七年、蜂須賀家政が徳島城を築き、その落成祝いに町人たちに無礼講が許され、酒に酔った人々が踊りながら城内になだれこんだという説。一五七八年、大名三好家の武士団を束ねていた十河存保(そごう・まさやす)が、上方から招いて踊らせた「風流踊り」にはじまるという説。盆の時期に精霊を迎えて踊った精霊踊りがはじまりだという説などである。

 いずれにしてもその歴史は古く、四百年以上前から伝わっていたことは間違いないようだ。踊りは両手をあげてリズムをとり、三味線や太鼓、横笛や鉦(かね)などの鳴り物に合わせて、テンポよく足を運ぶ。基本的に踊り方は自由だが、地元の有名連による踊りは、ただの乱舞の域を超え、手の振り、足の運び方、腰の落とし方などに熟練の美を感じる。


スサノヲ(スサノオ)


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