◆七月七日、七夕(七夕の節句)の由来(六)

◆七月七日、七夕(七夕の節句)の由来(六)


◆七月七日、七夕(七夕の節句)の由来(六)

◆◇◆七夕と『竹取物語』、ふじの煙(富士の煙)、原文

 『竹取物語』末尾・「ふじの煙」の原文は、こうだ。「その後、翁・女、血の涙を流して惑へど、かひなし。あの書おきし文を読み聞かせけれど、『なにせむにか命もをしからむ。たがためにか。何事も用もなし』とて、薬も食はず、やがて起きもあがらで、病み臥せり。中將、人々具して帰りまゐりて、かぐや姫を、え戰ひ止めずなりぬる事、こまごまと奏す。薬の壺に御文そへ、まゐらす。ひろげて御覧じて、いといたくあはれがらせ給て、物もきこしめさず。御遊びなどもなかりけり。大臣上達を召して、『いづれの山か天に近き』と問はせ給ふに、ある人奏す、『駿河の国にあなる山なん、この都も近く、天も近く侍る』と奏す。これを聞かせ給ひて、《逢ことも涙にうかぶ我身には死なぬくすりも何にかはせむ》かの奉る不死の薬に、又、壺具して、御使に賜はす。勅使には、つきのいはかさといふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂にもてつくべきよし仰せ給ふ。嶺にてすべきやう教へさせ給ふ。御文、不死の薬の壺ならべて、火をつけて燃やすべきよし仰せ給ふ。そのよしうけたまはりて、つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなん、その山を『ふじの山』とは名づけゝる。その煙、いまだ雲のなかへたち上るとぞ、言ひ伝へたる。」

◆◇◆七夕と『竹取物語』、かぐや姫とコノハナサクヤ姫

 『竹取物語』末尾・ふじの煙(地名起源説話・富士縁起譚)には、後日談として、かぐや姫が月に帰る際、地上での生活の御礼にと翁や帝に残していった「薬の壺」のエピソードが語られている。帝は貰った不死の薬を、「かぐや姫にもう会えないのなら、不死の薬も意味がない」として、天に最も近い山で焼いてしまうように臣下に命じる。

 この山は後に「ふしの山」、富士山と名付けられたそうだ。この富士山には徐福伝説や蓬莱伝説などが伝承されており、また浅間神社があり、その祭神はコノハナサクヤ姫である。「かぐや姫」とはコノハナサクヤ姫の別名という説もあるのだ。

 また、不死の薬が月の世界にあるというのは、中国の伝説でも語られている。張衡『霊憲序』によると、西王母から不死の薬をいただいたゲイ(難しい漢字)の妻、仙女嫦娥(じょうが)が薬を奪って月へ行き、月の都を建てたのだという。

 もしかすると、かぐや姫は嫦娥(じょうが)の宮殿に住んでいたのかもしれないかも? 『竹取物語』の中には、不老不死の神仙思想(道教の神秘思想)を見ることができる。奈良・平安初期の人々が厚く信仰したのは仏教や陰陽道(陰陽五行に基づく呪術体系)であり、そのうえに「天の羽衣」のような天女伝説が融合・接合したようにも思える。


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